連休は南の島で

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 フィリピン ミンドロ島 

 
地球は航空機の発達などで、感覚的には狭くなりましたが、地理的には様々な自然があります。一年中熱い所や、氷に閉ざされている所や、同じ場所でも、低地は熱帯でも、高地は雪が降っていたりと。

初めてアメリカへ単身渡ったときも、うだり返る真夏のニューヨークからバスに乗り、ワイオミングに入ると、何とそこは一面の雪でした。アメリカの広さを実感した瞬間でした

写真のミンドロ島は、一年中が夏です。35度ぐらいの日が毎日続きます。飛行機も飛ばないし、車もそんなにありません。しかも珍しく観光開発されていなくて、本当にのんびり出来るところです。ただし退屈しなければですが。

船しか交通手段がないので、観光客も殆どいません。島民もフィリピンにしてはのんびりとしていて素朴です。島のそこいら中に椰子の木が生い茂り、素朴な南国ムードが一杯です。産業が椰子の木の栽培しかないのですが。

とにかく一年中夏で、椰子の木の栽培しかなく、海がきれいで、のんびりしている。まだ日本の近くにこんなところがあるんです。地球はまだまだ広いです。 

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南米チリのリゾート

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ビーニャ・デル・マル

 

チリの首都サンチャゴから車で2時間ほどの太平洋沿い、といってもチリと言う国は南北に細長く太平洋岸にしか面してはいないのですが、サンチャゴの暴走車だらけの町からホッとできる場所です。

豪華で大きなモナコ風の高級カジノが町の中心にドンとそびえ、空は抜けるように蒼く、サンチャゴの排気ガスだらけの空気とは比べようもない清涼な空気が、優しく体を包んでゆきます。

路面電車で20分も走ると港町バルパライソの大きな町の灯が見えてきます。ここは日本の漁船も寄航するチリ第一の港町です。

でもおじちゃんは、こののんびりとしたビーニャ・デル・マルの街が好きになりました。
日本からはとても遠いいですが、イースター島へ行く予定でしたが週1便の飛行機が欠航してモアイ像は見れませんでした。

とてもいい所ですが、チリは南米1料理がまずい印象があります。港町なのに、なぜなんでしょう。色々な人に、それとなくですが聞きましたが、美味しくないかい、と反対に聞き返されました。それはそうでしよう、現地の人たちは、各国の料理はそれほど食べた経験などないでしょうし、日本の素晴らしく美味しい料理など、まったく知りませんから。
正直、ここの料理は何を食べてもまずいです。街ゆく人々の多くが食べ歩く、国民的人気のアイスクリームさえも、他の国とは違った味がして、ざらざらとした舌触りからして、けして美味しいとは思えません。

まあ食いしん坊のおじちゃんには、食べ物の不満はありましたが、南極にもすぐですし、行く予定でしたが軍用機の予約が取れずに行けなかった、大氷河のあるカラファテもある、興味尽きないところがたくさんあります。

 

 

「光陰矢のごとし」

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「光陰矢のごとし」まさに言葉通りに月日の経つのは早いものです。

こんな話があります。雷様とお月様とお天道様とが旅をしました。宿屋に泊まった三人はお酒を飲み始めました。お天道様とお月様は早めに寝床に着きましたが、雷様は、しこたま飲んでグテングテンになって夜遅くに寝ました。

翌朝、お天道様とお月様は起こしても寝ている雷様をおいて、先に出発しました。「しょうがないねー、雷様は」「所詮ゴロツキですからね」

宿の女中さんが昼になっても起きてこない雷様を起こしに行きました。
「お客さんまだ起きませんか、もう昼ですよ」と云うと、
雷様は「お天道さんとお月さんは、どうしたい」
女中さんは「もうとうにお立ちになりましたよ」と、云うと
雷様は「月日の経つのは早いねー」と、言いました。

女中さんは「ところでお客さんはいつお立ちに」
雷様は「わしは夕立だ」

 

 

 

 

近藤勇の墓

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明治になって新撰組生き残りの永倉新八翁が建てた近藤勇の墓ですが、遺体はこの場所にはありません。薩長の軍勢に出頭し、運悪くこの場所で斬首の刑に処せられたということで、墓となっています。

剣術道場「試衛館」時代には、「お前、俺」の仲だった近藤と永倉ですが、近藤が局長という重責についてからは、永倉とのそりが狂いだし、薩長の新政府軍に追われて会津に落ちる際にはとうとう袂を分かちあう仲になり、千葉県の流山に陣をひいた近藤は薩長軍に尋問され、土方の反対を押し切って出頭し、そのまま板橋まで連れて行かれました。運悪く、京都守護職新撰組時代を知る敵兵に顔を見られ即刻斬首刑にされてしまいました。

一方、永倉は、靖兵隊を結成し、北関東にて新政府軍と抗戦し、北へと敗走して行きました。米沢藩滞留中に会津藩の降伏を知って江戸へ帰還し、その後、松前藩士として帰参が認められ大正まで長寿を全うしました。「一に永倉、二に沖田、三に斎藤」と言われた剣の腕前でしたが、最早、刀の時代は過ぎ、鉄砲の時代では、いかな剣客といえども時代の波には抗えきれませんでした。

この墓は明治9年に永倉が「近藤と土方は若くして死んでしまったが自分は命永らえた」と若き日の新撰組の思い出と顕彰のために、この碑を建てたということです。

土方は近藤の死を聞いてから、新撰組の生き残りの島田魁ら数名の隊士と幕府の榎本武揚とともに函館へ渡り、薩長軍との最後の戦いでは土方率いる隊は全戦全勝していましたが、 薩長軍の箱館総攻撃が開始され、島田魁らが守備していた弁天台場が敵軍に包囲され孤立したため、歳三は籠城戦を嫌って僅かな兵を率いて出陣。薩長軍の軍艦「朝陽」が味方の軍艦によって撃沈されたのを見て「この機会を逃すな!」と大喝、箱館一本木関門にて陸軍奉行添役・大野右仲に命じて敗走してくる仲間を率いて進軍させ、「我この柵にありて、退く者を斬る!」と発した。歳三は一本木関門を守備し、七重浜より攻め来る薩長軍に応戦。鬼のように戦い、馬上で指揮を執った。その乱戦の中、銃弾に腹部を貫かれて落馬、側近が急いで駆けつけた時にはもう絶命していたという。(黄色ウィキペディアより引用)

奇しくも近藤勇と同じ年齢の35歳の春でした。

幕末の激動の時代を、剣一筋に生きてきた剣豪たちの生き様の顕彰碑に胸が熱くなる思いがします。

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チェ・ゲバラと新撰組

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久しぶりに国立に来て、一橋大学の構内を歩いた。ゲバラのポスターかタペストリーだろうか、窓に飾ってある。


初めてアメリカに行った時住んだ家、と言ってもイッピー(注:yippie ピッピーではない。社会改革意識を持った者たち)のコミューンに居候した時だが。ヴィクトリア風の古い家の二階の居間の大きな窓に、これより大きなゲバラの写真が貼ってあったのを思い出す。下の写真と同じものだった。


初めてゲバラの名前を知ったのは、中学生のころだった。1959年キューバ革命を起こした英雄としてカストロと並び称された時だったか、その後だったか、今となれば定かではないが、確実に覚えているのは1967年だった。ゲバラが南米ボリビアで捕まり、処刑されたと言うニュースに接した時だった。

 

そして「ゲバラの日記」を読んで、オマー・シャリフ主演の同名の映画を見て、その一途な生き方には共感したが、マルクス主義というのは、まるで狂信的な宗教だなー、と感じたのもその時だった。

そして、偶然借りてきたDVD「モーターサイクル・ダイヤリー」という映画も、やはり若き日のゲバラの日記を基にしたものだったが、こちらのほうが面白かった。

 

数年前、好きなベニチオ・デル・トロ製作主演で『チェ28歳の革命』『チェ39歳の別れの手紙』が日本でも公開されたが、期待していたほどの感銘がなかった。

 

ゲバラの生き方そのものには男の美学を感じる。ベトナム戦争中の当時のアメリカの若者たちに圧倒的に支持された理由も、「理由なき理念」ではなく、「頑徹なまでに確定した理念」という男の美学に基づいていたからだと思う。その点では幕末の悲史の代表である「新撰組」との共通点を感じるのはおじちゃん一人ではないだろう。

 

 

 

 

 

 

シルバー川柳

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 〈あちこちの骨が鳴るなり古希古希と〉

〈年をとり美人薄命うそと知る〉寄る年波を笑いにくるんでポイしたりする「シルバー川柳」で、しばしお楽しみを


▼女性のほうが何かと若い

〈夫より三歩前行く老後かな〉

若く見せたい見られたい

〈化粧品リフォーム詐欺と妻は言う〉

夫の独り言はこう続く

〈化粧する昔話も化粧する〉


▼病院で

〈昼寝して『夜眠れぬ』と医者に言い〉

長寿ニッポンは次のような光景も生む

〈長寿者に『ひけつ』なにかと医者が聞き〉

答えていわく〈老木は枯れたふりして新芽出し〉


▼ 家庭で

〈来てやった貰(もら)ってやったで五十年〉

〈五十年かかって鍋と蓋(ふた)が合う)

振り返れば〈それあれで通じるまでの幾(いく)山河〉

〈あれはそこそれはあそこにちゃんとある〉

そうかと思えば

〈メモ帳のしまい場所にもメモが要る〉

〈孫優しさっきも聞いたと言い出さず〉


▼出かけた先では、

〈お辞儀して共によろけるクラス会〉

でも、会話は弾んで

〈八(や)十(そ)路(じ)越え大器晩成まだ成らず〉と意気盛ん

100歳以上は全国で4万人を超えた。超長寿社会はこういう光景も生むかもしれない

おじちゃんが一番の傑作と思ったのは

〈その昔恐竜見たかと問う曾孫〉

 

そこでおじちゃんも一句

「アレ、コレと 代名詞だけで 会話する」 

「初恋に 出会った夢覚め トイレ行く」

「可愛いと思っていた人 孫五人」

 

 

 

 

佃煮

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家康と共に大坂から来た佃村の住人たちが、佃島に住み着き、将軍家に白魚を献上し、残った小魚を醤油で煮込んで保存食としたということが、佃煮の由来だと言われています。しかし、おじちゃんは佃煮のような保存食は、もっと以前からあったように考えています。

なぜなら、醤油は室町時代には醸造されていましたし、醤(ひしお)という大豆を塩とともに発酵させたものは、縄文時代にさかのぼって常用されていたそうですから、生ものの保存調味料として使われていたのは、かなり以前に遡れます。

現在の佃煮は、砂糖が大量に使われていますので、とても食べやすくなっていますが、冷蔵庫が普及しない以前の佃煮は、もっと塩っ辛いものだったそうです。野菜や魚介類は傷みやすいですから、長期に保存するのには、かなりの塩分が必要だったでしょう。

日本人の知恵は、相当昔から食料の貯蔵方法として、塩漬けだの、発酵だの、乾燥だの、佃煮だのとさまざまな手法が考え出されてきました。今では昔風の塩っ辛い佃煮は敬遠されるでしょうが、たかが佃煮と思いますが、それに至るまでには先人の知恵が詰まっているんですね。

 

 

 

決定的瞬間

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フランスの有名な写真家にアンリ・カルティエブレッソンという人がいましたが、彼が自分の写真集につけた『決定的瞬間』と言う言葉がありますが、それまでの写真と言えば大型の写真機でスタジオ内の人物や、大きな三脚を立てて風景を撮っていたのですが、ドイツのライツ社が1930年ごろ映画用の35mmのフイルムを使ったカメラ、ライカを市販したのをきっかけに、何処にでも持って出かけられるこのコンパクトなカメラが大流行しました。

大流行と言っても、ライカはとても高価で日本では家一軒が買えるほどの値段だったそうです。

このカメラをいち早く使って撮りまくった写真集が 『決定的瞬間』です。おじちゃんも当時としては高価な本でしたが一冊持っています。それまでは不可能とされていた人々の日常生活の動きの一瞬を切り取ったことで大変話題になりました。

現在でも伝説的な写真家として世界中で信奉者がいます。戦争写真で有名になりベトナムで死んだロバート・キャパブレッソンと同じ「マグナム」と言う写真集団の一員でした。(ロバート・キャパも『ちょっとピンボケ』と云う写真集がある)

おじちゃんは常々思うのですが、写真は色々なものを撮っていいのですが、やはりその根底には『決定的瞬間』という意識が常に付きまとわなければと思っています。

つまり写真は芸術と云うよりも、記録としてのほうが重要だと考える一人です。その時の何を伝えるかが一番重要だと考える方です。綺麗に撮るよりも、たとえブレていても何かが伝わればよいと考えています。

でももう何十年とカメラ関わっているのに、いわゆる『決定的瞬間』の写真は撮れません。もう生涯撮れないかも知れません。

一度でもいいですから自分の納得する『決定的瞬間』を、と願っています。

 

 

 

 

春日燈籠、街の早起き

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奈良の名物として、『大仏に鹿の巻き筆、奈良ざらし、春日燈籠、街の早起き』というくだりが出てきますが、街の早起きとは、けして良い意味で謂われているのではなく、奈良の鹿は古来より神鹿と呼ばれ春日大社の神の使いとして崇められていました。その鹿が自宅の前で死んでいると、その家の者たちは悪くすると石子詰めという死罪にされたりしました。

そこで自然に街の人たちが早く起きて、自宅の前に鹿が死んで居ないかを確かめるようになったという、言い伝えがあります。確か興福寺の境内のどこかに、実際にその刑に処された三作という少年の「石子詰三作の墓」という碑があったように記憶しています。

 

猿沢池の北東にある五十二段の石段を上がって右に少し行くと、右側に興福寺の菩提院大御堂がある。奈良町の人達はここを十三鐘と親しみをこめて呼ぶ。昔はここに梵鐘があり、朝七つ時と暮れの六つ時に時刻を報じたからだという。現在は興福寺の管長様のお住居になっているので、勝手に出入りすることはできないが、以前は団体客を案内するガイドや人力車が必ず入って説明した、奈良名所の一つであった。というのは、この庭内に「三作石子詰め」の跡といわれるものがあったからである。江戸時代頃まで、春日の神鹿を殺すとその罰として生きたまま石子詰めにされるという掟があったそうだ。江戸時代、ここが寺子屋になっていたことがあって、手習いをしていた三作がちょっと目を離した隙に鹿が手習いの草子をくわえて逃げ出した。草子をとり返そうとして三作が投げた文鎮が鹿の急所に当たって死んでしまったので、三作は「石子詰め」にされたという。子供を思う母親がその霊を弔うために墓に植えたという紅葉の木も残っていた。

 

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一番うまい「武蔵野うどん」

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そもそも、そばっ食いのおじちゃんがうどんを美味いと思ったのがこの店だ。国分寺北口のはずれにショボンとある昭和レトロ趣味の小さな店だ。

店の名は「甚五郎」名人の左甚五郎を気取ったのだろうか。だが確かに安くて美味い。うどんは無漂白に近く少し茶色がかっている。汁は武蔵野うどんの定番の豚のばら肉入りがメイン。この汁食べても食べても減らないうどんのわりに飽きの来ない味になっている。

とにかく安い割にボリュームがある。

そばっ食いの江戸っ子が、志ん生ではないが「あんなめめずみたいなもんが食えるかよー」と、うどん食いを罵倒されそうだが、最近の蕎麦屋で美味い蕎麦はここ何年も食べていないし、老舗や地方に行ってもなかなか美味い蕎麦には当たらない。畢竟、伝統のあるうどんを探し歩いた結果、讃岐なんかとは問題にならないほど、関東独特の腰のあるうどんに行き着いた。全国のうどん食いに言いたい、うどんは武蔵野に限る。

 

 

 

 

ネコは猛獣

 

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散歩をしていたらブルーシートの上で寝そべっている猫に出会いました。ちょうど昼寝から起きたところなのでしょうか、伸びをしていました。ちょつと立ち止まって写真を撮り始めると一緒にいたカミサンの足元に寄り添ってじゃれ始めています。

しかし大の動物嫌いのカミサンです、その中でも猫と犬は大嫌いです。それを察したのか猫はおじちゃんの足元に纏わり着いてきました。背中をなでてあげると身体を弓なりにして喜んでいるのでしょう。猫は飼った事がないのでよくは分かりませんが、きっと他の動物の行動から推測しても喜んでいるのだと思います。怖い表情に似ず人なつこいと言うか、すれていると言うか面白い行動です。

以前カミサンが歩きながら、スーパーの高くなった植え込みに居た猫に手を出したら、噛みつかれました。嫌いなのになんで手を出したのだろうと思っていたのですが、おじちゃんが手を出すと身体をこすり付けてきて気持ちよさそうにしています。その時、「やっぱり分かるのかしらねー、動物好きの人って」とカミサンが感心したように言いました。動物は本能で嗅ぎ取るんでしょうね、攻撃してくる相手かそうでないかを。

それ以来カミサンは余計に動物嫌いになりました。家に居る小鳥たちにも手を出しません。

 

 

 

 

 

 

桜は・・・

 

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東京の桜は何処も満開を通り越して散っています。おじちゃんは混雑している満開の花を見るのは、敬遠です。第一、灰色がかった色のソメイヨシノはあまり好きじゃないんです。

桜の一番好きなのは、はらはらと花びらが散るころが、なんかこのー趣があってとても感動を覚えます。

高校の時習った吉田兼好の「徒然草」にも、そんな箇所がありました。先生は、この兼好法師という人はあまのじゃくだねー、と言っていたのでよく覚えています。

しかし、おじちゃんも、兼好法師が言っていることが分かるようになってきました。どんな現象の中にも無常観があり、それを解することこそこの世を知り、人生を知ることだと。しかも兼行は満開の桜も否定していません。そういう悟った心境になりたいものです。それにしても今朝は寒い。


『花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛知らぬも、なほ、あはれに情深し。咲きぬべきほどの梢、散り萎れたる庭などこそ、見所多けれ』徒然草137

「おじちゃんの訳」
さくらの花は満開の時を、月は満月だけを見るものだろうか。 雨が降って見えない月を恋しく思い、家に閉じこもっていて春が終わっていくのを知らないのも、また、それはそれで趣があるものである。まもなく咲こうとしているつぼみの枝や、散ってしおれてしまった花の落ちている庭などこそ、見る価値が多いものだ。

 

 

 

 

 

 

サウダージな国

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おじちゃんが初めてヨーロッパに行ってから、もう20年が経ってしまいました。歳をくうわけです。
そのときは一人ではなく、絵描きさんたち数人と一緒でした。

はじめの都市はベルギーのブリュッセルでした。次に訪れたのがポルトガルリスボンでした。この町はいっぺんで好きになりました。前に書いたハードボイルド作家のハメットではないですが、この町に自分は属している、と感じました。いつまで、いてもいい気分になっていました。

その時のリスボン滞在は一週間ぐらいでしたが、その後10回ほどリスボンには行きました。患ってからは行っていませんが、EU加盟後の最近は変わってしまったそうです。ポルトガルの素朴さが失われつつあるみたいです。物価も日本より高くなって暮し難くなってしまったのかも知れません。

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アキバ様

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 落語の「家ほめ」または「牛ほめ」で小遣いをせしめようと新築した伯父さんの家をほめに行った与太郎が、伯父さんが気にしている台所の大柱の節穴に「アキバ様のお札」を貼って隠したら火の用心にもなるし、という下りがあるが、この「アキバ様」が秋葉原の名前の由来らしい。

一説によると明治22年の神田相生町(現アキヨドの斜め前-珍しく今でも町名は残っている)から発した大火で千人以上の死者を出した。そこで慰霊と火よけのために「秋葉神社-あきばじんじゃ」を建立した。もともと秋葉原という地名はなかったがこれをきっかけにこの一体をそう呼ぶようになった。

昔の年寄は「あきはばら」とは言わず、「あきばはら」と言っていたのが思い出される。ちなみに今でも番地としては秋葉原と言う名はない。この一体の町名は千代田区外神田だ。したがって今様の「アキバ」と言う呼び方が本来のものなのだ。

 

 

 

 

 

"These foolish things" ほんのささいな事が君を思い出させる

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カリブ海

       
おじちゃんは中学生の頃からジャズを聴いていた。マンションに住むようになってあまり聴かなくなったが、それでもipodのようなものにはジャズが入っている。

ボーカルはそんなにではないが、それでもいくつか好きなものがある。今日はなんかこのー"These foolish things"(ほんのささいな事)が気になり書いてみた。おじちゃんも訳してみたが、拙いので、それよりもっと素敵な訳が載っていたので失敬した。

フランク・シナトラはじめビリー・ホリディほかたくさんの人が歌っているが、初めに聴いたトニー・ベネットのをおじちゃんは聴いている。

出典は一番下に記した (歌手によって唄う歌詞を省略することもある-ここでは順序が入れ替わっている)

"These foolish things Remind me of you"

A cigarette that bears a lipstick's traces
An airline ticket to romantic places
And still my heart has wings
These foolish things
Remind me of you

A tinkling piano in the next apartment
Those stumbling words that told you what my heart meant
A fairground's painted swings
These foolish things remind me of you

You came, you saw, you conquered me
When you did that to me, I somehow knew that this had to be

The winds of march that make my heart a dancer
A telephone that rings but who's to answer?
Oh, how the ghost of your clings
These foolish things
Remind me of you

Gardenia perfume ling'ring on a pillow
Wild strawb'ries only seven francs a kilo
And still my heart has wings
These foolish things
Remind me of you
I know that this was bound to me
These things have haunted me
For you've entirely enchanted me

The sigh of midnight trains in empty stations
Silk stockings thrown aside, dance invitations
Oh, how the ghost of you clings
These foolish things
Remind me of you

The smile of Garbo and the scent of roses
The waiters whistling as the last bar closes
The song that Crosby sings
These foolish things
Remind me of you

How strange, how sweet to find you still
These things are dear to me
That seem to bring you so near to me

The scent of smould'ring leaves, the wail of steamers
Two lovers on the street who walk like dreamers
Oh, how the ghost of you clings
These foolish things
Remind me of you, just you

 

[リフレイン1]
口紅の跡がついた煙草や
ロマンティックな場所への航空券
それが今でも私の心を浮き立たせる
こんなつまらないものが
君を思い出させるんだ

隣の部屋から聞こえる拙いピアノの音
思わず口にでた言葉の数々 それは
君への僕の心のうちをさらけ出してしまった
遊園地での派手な色のブランコ
こんなつまらないものが
君を思い出させるんだ

君は来て 僕を見て 僕を征服した
そんな行為を僕にした時
ともかくそうなるべきだと分った

僕の心を踊らせる五月の風
電話の呼び出し音 でもどっちが出るんだい?
ああ なんとも名残りな 君の肌の感触
こんなつまらないものが
君を思い出させるんだ

[リフレイン2]
最初に届いたスイセンの花束 次に届いた長く興奮した内容の電報
それから小さな隅のテーブルのろうそくの灯り
それが今でも僕の心を浮き立たせる
こんなつまらないものが
君を思い出させるんだ

夕方に鐘がなる頃の公園
カモメだらけの「イル=ド=フランス」地方  
スプリングの美女               
こんなつまらないものが
君を思い出させるんだ

なんとも変で なんとも甘い感じなのは
君がまだそこにいると思えたから
こんなつまらないものが僕には愛しく思え
これらが君を近くに感じさせる

誰もいない駅に響く真夜中の汽車のためいき
傍らに放り出された絹の靴下に ダンスへのお誘い
ああ なんとも名残りな 君の肌の感触
こんなつまらないものが
君を思い出させるんだ

[リフレイン3]
枕に残るガーデニアの香水
キロ7フランしかしない野いちご
それが今でも僕の心を浮き立たせる
こんなつまらないものが
君を思い出させるんだ

ガルボの微笑みに 薔薇の香り       
バーの閉店をつげるウェイターの口笛
クロスビーの歌声                
こんなつまらないものが
君を思い出させるんだ

なんとも変で なんとも甘い感じなのは
君がまだそこにいると思えたから
こんなつまらないものが僕には愛しく思え
これらが君を近くに感じさせる

枯葉の燻る匂い 泣き叫ぶスティーマーの蒸気 
街を歩く二人の恋人はまるで夢遊病者のよう
ああ なんとも名残りな  あなたの肌の感触
こんなつまらないものが
君を思い出させるんだ

 

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