本郷界隈

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この界隈を下町と称する無知無学な輩がいるが、ここはれっきとした昔からの山の手である。下町とは昔は粋でイナセで洒落た場所、反対に山の手とは野暮で田舎くさく、江戸っ子には自慢できる場所ではなかった。確かに、ここ本郷は粋とかイナセとかの言葉から来る元気で活発な感じは全くない。品格のある住宅街である。

矢田挿雲著の「江戸から東京へ」の本郷区編には、確か、本郷森川町は寂しくて辻斬りがよく出没した場所、として書かれていたように記憶している。(年齢とともに痴呆気味になりつつあるので記憶違いだったら悪しからず)志ん生の落語にも、森川町に辻斬りが出たという、試し斬りを「茶飯斬り」に引っ掛けた話がある。

それほど寂しい場所だったのは、21世紀の現在でもさして変わりがない。相変わらず寂しい場所である。それと区画整理がされていないのか、狭い道路が多い。狭いから畢竟、車の往来が少なく散歩するには都合が良い。

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振袖火事(1657年 明暦3年)で江戸の三分の二が消失し、人口の一割に当たる10万人の死者を出した大火の火元と言われている本妙寺も、ここ本郷の加賀100万石、前田家中屋敷跡の東大と向かい合う広大な敷地を有していたが、火災後、現在の駒込染井の墓地へ移された。

一方火元の門前にあった前田家ではその教訓から、後世、絶倫将軍の異名を持つ十一代家斎の娘溶姫が嫁した折、将軍から許された御朱殿門(いわゆる赤門)を守るため、門前の百数十件の家を立ち退かせ、火除け地をもうけ、かの有名な「加賀鳶」を創設この門を火から守った。

東大の前を通る本郷通りは、今では車の往来が一日中絶えないが、車の発達する前の明治の頃でも、漱石の「三四郎」によると市電がチンチンと音を立てて往来し、田舎出の三四郎を驚かせた、とある。

「江戸切り絵図」を見ると江戸時代を通じて、本郷通りの周辺には大名の中屋敷が多く見られる。駒込六義園は五代綱吉時代に老中に大出世した柳沢吉保の別荘跡、隣接する超高級住宅街、駒込大和郷は将軍のお駕籠組と加賀前田家の抱屋敷跡、巣鴨一帯は最後の将軍慶喜の屋敷跡だし、通称巣鴨三菱村は慶喜と豊後松平家と藤堂家下屋敷の跡地の一部を所有している。

本郷から遠くなってしまったが、本郷界隈は武家地と寺地が多かったので、大通りから少し入ると、都心の割りに現在でも静かな環境が残されている。それでも日々変容する東京の中にあって、いつまでこの環境が保てるか、はなはだ心配になる。

 

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本郷界隈は近いのと、さんざん歩きつくした感があるので、さして興味はわかないが時々は散歩をする。所々に古い東京がまだ残っていて、雰囲気としては、おじちゃんの好きな界隈ではある。さほど歴史にも詳しくなく、調べるのもナマケ者の習性で面倒だから、ただ歩くだけである。

東大に近い西片町は、かつて漱石や鴎外、四迷、近くには一葉などが住んでいた場所で、土地柄学者たちが多く住んでいたので、以前は学者町と呼ばれていたらしい。現在でも品格ある高級住宅街である。概して東京と言うところは、高い所に高級な住宅が集まる傾向が見られるのは、散歩の経験からの発見である。

もう一つ散歩の経験から感じ取ったことは、東京では大体交通の便が悪いところは現在でも昔の面影を留めているところが多い。ここ西片も現在でこそ、わりと近くに地下鉄が出来てはいるが、それでも駅までは結構な距離がある。15分以上は歩かなければならないところが多い。そのせいもあり、まだ閑静な佇まいを残している。

 

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