カリフォルニア
60年代の反戦運動激しかりし時代の、アメリカのピッピーのコミューンで生活していたときの写真です。
10数人が、バークレーのビクトリア風の一軒家を借りて、住んでいるところへ居候していました。英語がろくすっぽ話せず往生しました。
そしてカルチャーショックの連続でした。毎晩お茶が恋しくなったものです。殆どの国で手軽に日本食品が手に入る今では考えられませんね。
オンボロのホルクスワーゲンを借りて、サンフランシスコの町から郊外へとフリーウェイを運転しましたが、途中からどの辺りを走っているか分からなくなり、数時間どこをどう走ったのか、ガソリンスタンドで地図をもらい、片言の言葉で帰り道を聞きましたが、分からずに不安が募りどうしようもなくなりましたが、明日になっても何とかなるさ、と考えると少し楽になりました。すると不思議なことに数日前に一度連れて来てもらった場所に出くわしました。そして出来る限りの記憶を辿ってやっとのことで帰り着くことが出来ました。
一日の冒険でしたが、そんなことも思い出の一つです。