ふるさとへの思い

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永井荷風の小品『虫の声』に
「東京の町に生まれて、そして幾十年という長い月日をここに送った・・・。
今日まで日々の生活について、何のめずらしさも懐かしさをも感じさせなかった物の音や物の色が、月日の過ぎ行くうちにいつともなく一ツ一ツ消去って、遂に二度とふたたび見ることも聞くこともてきないと云うことが、はっきり意識せられる時が来る。すると、ここに初めて綿々として尽きない情緒が湧起って来る-別れて後むかしの恋を思返すような心持である。」
「樹木の多い郊外の庭にも、鶯はもう稀に来て鳴くのみである。雀の軒近く囀るのをかしましく思うような日も一日一日と少なくなって行くではないか。」

という文章があります。東京小石川に生まれ、東京の町で育った荷風にしてみれば、年々薄れ行く鳥のさえずりや、物売りの声や町の変貌にある喪失感を感じずにはいられなかったのでしょう。「江戸耽美主義」を標榜されていた荷風にとっては、ふるさとである東京の、年々というより日々変わり行く有様に我慢ならなかったのでしょう。

誰しも、ふるさとの急激な変貌を喜ぶ人は多くはないでしょう。しかも、そこに日々生活し、町の散歩を生活としていた作家荷風にとっては、つい先日歩いた場所に新しいビルが建ったりするのを見せ付けられるのは我慢が出来なかったのでしょう。特に、歳をとると急激な変化に対しては違和感を覚えるようになるものです。