ビリー・ザ・キッド

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ネットを見ていたら、ビリー・ザ・キッドに関することが出ていたので、読み進むと、7年ほど前、ある骨董品店で2ドルで売り出そうとしていた古い写真を、1年がかりで鑑定してみると、アメリカ人が熱狂する「ビリー・ザ・キッド」の写真だと分りました。

この写真をオークションにかけると、驚いたことに6億円の高値で落札されました。ビリー・ザ・キッドは、それほどアメリカ人には人気のある人物のようです。

生まれたのは、1859年ニューヨーク。21歳で射殺されるまでに、21人殺したと噂されています。アメリカでは、義賊としての評価が高いようです。

実際は、アウトローなのでしょうが、世話になっていた雇い主の英国人タンストールが、対立する勢力に殺害されたのを義憤から、あだ討ちしたことが義賊としてのビリー・ザ・キッドの名声を高めていったのでしょう。

友人だった保安官のパット・ギャレットに射殺されたのが、1881年の明治15年です。ニューメキシコ準州だったリンカーン郡でのことで、撃たれた時の最後の言葉が「キェンネス」(誰だ)と、スペイン語で喋った、と言うことです。当時のニューメキシコは、アメリカがメキシコから取り上げた土地でしたので、メキシコ人たちも多く住んでいたと思います。そんな環境では、ビリーもスペイン語が堪能だったと思います。そんなことから、メキシコでも、ビリーは人気があるそうです。

それと、この写真では拳銃が左に見えますので、ビリーは左利きというのが、通説ですが、洋服のボタンの位置が反対なので、左右反対の写真からの推論だと思います。