大国魂神社

 

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府中に鎮座する大国魂神社ですが、広い敷地の中に1900年もの永い時の中に息づいています。ここに来ると背筋がピンとなり、いや応なく荘厳な気持ちにさせられます。日本人の殆どが知っている、因幡の白兎を助けた"大国主命"(オオクニヌシノミコト)を祀ってある神社です。

最近よく思うのですが日本人の心の中には、やはり神様が一番に存在して、その次に仏様やキリストなどが存在しているのではないかと考えています。その証拠に何かお願いするときは、"神さま"とつい祈ってしまいます。

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日本人には神様を崇拝する気持ちが、生まれたときから自然に備わっていると思います。日本には"八百万の神"(やおよろずのかみ)と数限りない神が存在しているのですから。それは空にも海にも山にも、道端の石ころにまで神様の存在を宿していると、昔から日本人は考えています。それほど、自然の中にたくさんの神を日本人は感じているのです。それは一神教キリスト教イスラム教、ユダヤ教などと違い、神が自然を創ったのではなく、もともと自然がありそれがさまざまなものの根本だという考え方なんです。

根本に神の存在を認めるからこそ、日本にはキリスト教や仏教が広まったと言われています。キリスト教徒は数パーセントしかいませんが、仏教は広く普及しています。それは"教え"というよりも生活の中の一部分として取り入れているもので、それによって神を信じなくなるような存在ではありません。しかも仏教は他の宗教とは違い"神"が存在しません。信心するものが自ら悟りを開いて"仏"になると言う宗教です。神の国日本では一神教よりも取り入れやすい宗教だったのです。

しかし、現実の社会では仏教寺院では、京都のように高い拝観料を取り坊主が悪徳商人へと堕落していますし、神社でも結婚式など商業活動が盛んです。しかし多くの日本人はそうした風潮よりは、むしろ自分の中の"神"を大切にしている傾向が強いようです。この傾向が変化しない限り、日本の"八百万の神"は永遠になくならないと考えます。