縄文時代と弥生時代

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弥生文化の名前の由来は、ここから土器が出土したことから名づけられました。文京区弥生に存在した縄文時代弥生時代の複合遺跡とブリタニカ辞典に出ていますが最近の研究では、縄文文化弥生文化は同じ種族によって継続した文明であったのではないかという説が唱えられ始めています。

われわれ日本人が学校で習ったのは縄文時代弥生時代は、種族が違って従って文化も異なっていたと教えられました。稲作は弥生時代から始まりその文化は大陸からもたらされたと教えられました。紀元前3000年頃から始まったといわれる稲作も、もっと以前の6000年ほど前の水田の遺跡が九州南部にいくつも発見され日本における稲作の歴史も怪しくなりました。

縄文時代といわれる想像像

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弥生時代の想像像

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上の写真はわれわれが習った縄文、弥生時代といわれている想像画ですが16000年前から4000年ほど前の縄文人ですがあれだけ斬新な土器を作っていた人たちがボロボロの貫頭衣を纏っていたわけがないと思います。もっと斬新な刺繍や飾りが施された衣服を身に着けていたと思われますし、弥生時代にしても同様に思います。どちらもわれわれが教えられてきたよりもはるかに進んだ文明を持っていたと思います。さもなければ厳しい時代を生き抜くことは出来なかったと思います。

考古学者も日本を弱体化させる米国の差し金でマッカーサーGHQの行ったWGIP(ワー ギルト インフォメーション プログラム)という戦争犯罪史観に従った人間だけが生き残り、日本の歴史や文化を貶めることに励んできました。その結果以前から日本にあった稲作を大陸からもたらされたものとし弥生人縄文人に代わって大陸からの渡来人という、全く誤った歴史観に邁進してきました。しかし最近の研究では縄文人弥生人も同じ人種の連続で文化の混合が始まっただけだと解釈され始めました。

日本人のDNAは大陸のシナや朝鮮の遺伝子とは全く違うという検査結果が出ているそうです。稲作が大陸からのものではないという証拠も九州にはたくさん発見されたそうです。稲のDNAも東南アジア系のインドネシアやフィリピンのものと同様のもので大陸とは違うことも分かってきました。

世界の考古学者の間で縄文文化こそ世界最古の文明ではないかという話題が上っているそうです。