旧中仙道の宿場町 板橋
駒込の病院にいたお医者さんが、転勤で板橋の病院勤務になりました。その結果、板橋まで通うようになりました。さほどでもありませんが、やはり電車では不便なのでタクシーで通います。
この日は検査などで遅くなりタクシーが捕まりません。仕方なく近くの駅まで歩きました。途中、板橋という地名の元になった橋があります。この道は旧中山道だったので、この橋がまだ残っています。鉄筋に変わりましたが、紛れもなく旧中仙道の宿場町のひとつの"板橋宿"のなごりです。
板橋宿の長さは約2キロ以上あったようで、当時はかなり賑わっていたようですが、周りは今では家が建て込んでいて江戸時代の面影はありません。江戸四宿のうち一番大きかった順から、千住宿(9,556人、2,370軒)、品川宿(7,000人、1,600軒)、内藤新宿(2,377人、698軒余)、板橋宿(2,448人、573軒)と、板橋宿は四宿の中では最下位ながら、その繁栄ぶりは中山道中有数であった、そうです。
旅籠があり、お茶屋があり食べ物屋があったりしたんでしょうが、「英泉」の板橋宿では、全くの田舎町のようです。町というより畑もある村ですね。ですが、これでも賑わっていた方なのでしょう。
あと数百年すると日本はどうなっているんでしょうね。幸か不幸か、それまで生きながらえませんから、想像もつきません。日本はその歴史や文化も継続して保っていることを祈るだけです。