川柳と寺子屋

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落語の中には川柳や都々逸がよく登場します。川柳は好きですが、江戸川柳はかなりの教養がないと理解できない事があります。例えば
『五十字に足りず万事の用に足り』
これは弘法大師が創ったと言われる「いろは」を詠んだものです。


『弘法は裏 親鸞は表門』

これなどトンと見当がつきませんが、女人禁制を厳しくした空海と妻帯を認めた親鸞を考えれば謎が解けます。

江戸時代にはイケメンの代表と考えられていた、平安貴族で六歌仙のひとり在原業平(ありわらのなりひら)ですが川柳になると、

『井戸端で こしゃくな子供 口説き初め』

これは業平の次の和歌を知らなければ理解できません。かなり小さい時分に初恋の相手に詠んだ歌ですが、

『筒井筒 井筒にかけしまろが丈 過ぎにけらしな 妹見ざる間に』

 
それに対する幼い紀有常の娘の返歌が

『比べこし 振り分け髪も 肩過ぎぬ 君ならずして 誰かあぐべき』


そして先日書いた西行の入寂を

『如月のその望月に西へ行き』と詠んだのも

「願わくば 花(桜)の下にて春死なん その如月の望月の頃」を知らないとなーんだとなってしまいます。

しかし以下のものはそうした知識が無くても結構判りやすいものです。

『形見分け もらう気で 下女やたら泣き』

『仲人は 小姑一人殺すなり』

『琴になり下駄に為るのも桐の運』

『里帰り 夫びいきにもう話し』

『上っても峠を知らぬ欲の道』


江戸の庶民はかなりの教養を供えていたようです。川柳のほかにも、判じ絵なども諸事に通じていなければ、さっぱり分かりません。それは江戸時代には、全国に普及していた寺子屋のおかげでしょう。読み書きそろばん、その他必要な教育を、このシステムが江戸っ子たちに具備させた事実は素晴らしいものがあります。

神社仏閣に残る江戸時代の絵馬には、現代の数学者でも舌を巻く「算学」の問題などが奉納してあると云うから寺子屋恐るべしです。問題山積の現代の教育制度も寺子屋を見習った、もっと実践的なものに変えたらどうだろうか、と思います。