都電の走っていた茗荷谷界隈

 

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文京区の名前にふさわしい学生の町として発展してきた茗荷谷だが、今でもお店などが少ないが、おじちゃんの子供の頃はとても淋しいところで、学校以外は何もなかった。

御茶ノ水女子大、跡見女学園、貞静女学園、拓殖大学、都立竹早高校、東京教育大(現在は筑波大学としてつくばへ移転)、それらの付属小学校などもあり、まさに学生の街の様相を呈している。

ここには現在地下鉄丸の内線が通っているが、それ以前は都電16番が山手線大塚駅からここを通り、本郷、湯島、上野広小路を経て錦糸町まで走っていた。この線は今ではバスに変わり、同じコースで運行されている。

その茗荷谷だが駅前(戦前の兵法工廠だということを聞いた)の再開発で25階建てのタワーマンションと商業施設などのビルが建ちいくらか様子が変わった。周辺にはマンションが林立して様相が変わってきた。

夏目漱石の「それから」では、この茗荷谷周辺から伝通院付近に掛けてが舞台の中心になっている。漱石の時代には、まだ舗装も無く雨が降るとぬかるんで坂道の歩行が難儀だったことが窺える。

今日、東京は日々変遷を続けていて留まる事を知らない。少し経てばまた町の様相ががらりと変わり、以前よく知っていた通りさえも数ヶ月の内に全く違った通りのごとくに変えられてしまう。もう少し変化のスピードを緩めるわけには行かないものかと訝(いぶか)ったところで、最早どうすることも出来ない。東京の町は、そう言う流れの中に日々流されて行く。