チェ・ゲバラと新撰組

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久しぶりに国立に来て、一橋大学の構内を歩いた。ゲバラのポスターかタペストリーだろうか、窓に飾ってある。


初めてアメリカに行った時住んだ家、と言ってもイッピー(注:yippie ピッピーではない。社会改革意識を持った者たち)のコミューンに居候した時だが。ヴィクトリア風の古い家の二階の居間の大きな窓に、これより大きなゲバラの写真が貼ってあったのを思い出す。下の写真と同じものだった。


初めてゲバラの名前を知ったのは、中学生のころだった。1959年キューバ革命を起こした英雄としてカストロと並び称された時だったか、その後だったか、今となれば定かではないが、確実に覚えているのは1967年だった。ゲバラが南米ボリビアで捕まり、処刑されたと言うニュースに接した時だった。

 

そして「ゲバラの日記」を読んで、オマー・シャリフ主演の同名の映画を見て、その一途な生き方には共感したが、マルクス主義というのは、まるで狂信的な宗教だなー、と感じたのもその時だった。

そして、偶然借りてきたDVD「モーターサイクル・ダイヤリー」という映画も、やはり若き日のゲバラの日記を基にしたものだったが、こちらのほうが面白かった。

 

数年前、好きなベニチオ・デル・トロ製作主演で『チェ28歳の革命』『チェ39歳の別れの手紙』が日本でも公開されたが、期待していたほどの感銘がなかった。

 

ゲバラの生き方そのものには男の美学を感じる。ベトナム戦争中の当時のアメリカの若者たちに圧倒的に支持された理由も、「理由なき理念」ではなく、「頑徹なまでに確定した理念」という男の美学に基づいていたからだと思う。その点では幕末の悲史の代表である「新撰組」との共通点を感じるのはおじちゃん一人ではないだろう。