秋晴れ

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大型化した台風で雨の日が続きましたが、ようやく秋晴れの空が見られるようになりました。やはり、青い空が見れるのは、うれしいですね。
 
それにしても、近頃の天候は本当に変わりやすくて困ります。久しぶりに旅行にでも行こうと思っているのですが、毎日暑かったり寒かったりで、コロコロ変わる気温に着て行くものの選択が難しくなります。
 
たくさん持って行けるわけではないので、本当にどうするか迷うこと千万です。安定した天候の日は、戻ってくるのでしょうか。

天ぷら

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暑いときにはてんぷらが美味しくなります。今夜はてんぷら好きの客が2人来るので、5種類のてんぷらを作ります。癖のない"にんじん"、 夏野菜の"なす"、色味付けに "ピーマン"そして歯ごたえのある "ごぼう"。箸休めに鶏もものから揚げです。

にんじんとごぼうは下ごしらえに少々時間がかかりますが、これらは本当に美味しい仕上がりになります。特ににんじんは甘みが出て箸が進みます。

揚げるのはいつも新しいキャノーラ油とごま油の半々の油です。やはりごま油にこだわりがあり、江戸前の香ばしいてんぷらにはごま油は欠かせません。

今回は全部揚げるのに40分ばかりかかりました。こうして写真で見ると少ないようですが、揚げてみると30センチほどの大皿に6杯の量です。

でもてんぷら好きの2人のお客は一皿だけ残して殆ど全て平らげました。残りは土産に持たせました。

お店で頂くのと違い油のニオイもなく、翌日になっても美味しく食べられるのが自宅で作るてんぷらの素晴らしいところです。てんぷら大好きだった親父さんの仏前にも少し供えました。

秋晴れの墓参り

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           秋晴れ日和

南北朝鮮のあくどい挑発が続く今日この頃ですが、母の祥月命日の墓参りに小平霊園まで行きました。珍しく秋晴れの爽やかな日です。母が亡くなった30年前の日は残暑の厳しい日で、火葬場の休みで4日間の葬式で疲労困憊しました。

今日はまだ夏の内ですが爽やかな天気でありがたいです。霊園の中は広いので、少し腰の具合がよくなかったので、駅からタクシーに乗りました。花と線香を買って運転手さんに待っていてもらって、お参りを済ませてホッとしました。

近い将来自分もこの世から消えていくのだと覚悟しています。死んだ人は"あの世"という格納庫に仕舞ってあって自分が死んだときはその格納庫の中に入ることが出来て、みんなと会えるのだと考えています。そう考えると死んだ人を悲しく思う気持ちも楽になり、自分の死も受けいれやすくなります。

どんな人にも必ずやって来る"死"はこうして考えると受け入り易くなります。

 

旧中仙道の宿場 板橋仲宿

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泌尿器の病院が板橋にあるので、そこに行くときは、仲宿に寄ることが多くなります。病院は6時からの受付で、診察が終わるのが8時ごろになります。

午前も午後も病院はやっているのですか、担当の先生が、午後からになり、午後はすごい数の患者さんで4時間ほど待つのが普通になっています。夜間のほうが空いているので、6時からの診察にしてもらっています。

本郷の東大病院で診てもらっていましたが、担当の先生が千葉のほうに移ってしまったので、以前紹介された泌尿器専門の今の病院に変えました。

担当の先生がとても素晴らしい先生で、波長が合って安心して相談できます。命に係る"がん"ですから、安心できるお医者さんのほうがストレスがなくなります。

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朝のりんご

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りんごの収穫が始まったようです。"とき"というりんごが青森の知り合いの方から届きました。まだ穫れたての青い味のりんごです。

毎年、次々に送っていただき本当にありがたいです。ですからりんごは買った事がありません。これから年が明けるまでの間、毎朝食卓にりんごが供せられます。

残暑の昼下がり

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まだまだ暑さの残る昼下がりの一シーンです。もうそろそろと思っても、涼しくなるのは、そうたやすくはありません。日本列島はすでに熱帯地方に属するようになったようです。四月から、暑くなり始めて十月いっぱいはまだ、暑さが残ります。
 
一年のうち七ヶ月間は、暑い時期が続き、東京の寒い時期は一月から三月の三か月だけです。圧倒的に暑い時期が長くなりました。
 
無節操で自分勝手なチャンコロシナ中共が原因の地球温暖化のせいです。世界各地で起きている水害や大型化した台風などは、30年ほど前に世界の学者達が、シナの大気汚染や海洋汚染がもたらす状況を予測した通りになっています。チャンコロ支那を絶滅させないと、この温暖化は益々酷くなることは間違いありません。

 

府中の大国魂神社

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ここ府中にある"大国魂神社"が何となく好きなので時々来る。広くてホッとするのと数百メートルも続くケヤキの大木の並木も気に入っている。日本でもかなり古い神社になるが西暦と同じくらいのフルさがある。

日本は明治から西洋の西暦を用いるようになったが、それはそれとして人類の歴史はそれよりずっと古いからと西洋で、西暦はキリスト教に基づいているのでもっと広く西暦に1万年を足して、今年なら12019年と言うようにしてはどうかという意見が出た。1万年などといわず10万年足しても良いくらいだ。

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それより日本は神話に基づいて皇紀2679年を使うほうが、元号よりも覚えやすいと思うのだが、こういうことを言うとすぐに左翼達が騒ぐ。世界に冠たる一番古い皇室の歴史は、大切にすべきだと思う。キリスト教の暦は世界標準になってしまっているが、キリスト教徒が決めたこと。日本は世界一の文化と世界一古い文明の国なのだから、もっと誇りをもって世界に日本の歴史を発信すべきだ。昭和、平成、令和つぎは何? とても面倒。皇紀に統一するのなら元号は廃止してもいいと思う。皇統の存続は絶対必要だが、そもそも元号は中国の受け売りだから、この際すっきりと捨ててしまってもいいのではないか。

水天宮から人形町

水天宮にはたくさんの人がお参りしていました。何故か、安産の祈願をする神様らしいですが理由はわかりません。水天宮というのは「水難除け」や「水商売」の神様でしょうに、何の謂れから「安産」の神様になったのでしょうか。

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少し歩くだけで人形町です。人形町には古くからのお店があるようですが、よくは分かりません。知っているのはすき焼きの今半と鳥すきなどの鶏料理の玉ひでぐらいです。どちらも目の玉の飛び出るほど高いです。すき焼きは一人前一万円から一万五千円ほどです。

江戸時代はこの界隈を通称「玄冶店」(げんやだな)と呼んでいたそうです。

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歌舞伎の『与話情浮名横櫛』(よわなさけうきなのよこぐし)の『お富与三郎』の中の与三郎のセリフ

「面(つら)に受けたる看板の
疵(きず)が勿怪(もっけ)の幸いに
切られ与三と異名を取り
押借(おしが)り強請(ゆす)りも習おうより
慣れた時代(じでえ)の
源氏店(げんじだな)
その白化(しらば)けか黒塀(くろべえ)に
格子造りの囲いもの
死んだと思ったお富たぁ
お釈迦さまでも気がつくめぇ」

と歌舞伎では「源氏店」になっていますが、本来は「玄冶店」です。まあそんなことはいいですが、少し熱くなってきたのでこの辺で散歩も終わりにします。

過ぎ行く夏

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8月も過ぎもう9月になりました。セミ達も最後の力を振り絞って鳴き急いでいます。地上に出ている僅かの間に子孫を残さなければならないのですから必死なんです。

ウィキペディアによると

セミは、卵→幼虫→成虫という不完全変態をする虫である。

日本の場合、成虫が出現するのは主に夏だが、ハルゼミのように春に出現するもの、チョウセンケナガニイニイのように秋に出現するものもいる。温暖化が進む近年では、東京などの都市部や九州などでは、10月に入ってもわずかながらセミが鳴いていることも珍しくなくなった。成虫期間は1-2週間ほどと言われていたが、これは成虫の飼育が困難ですぐ死んでしまうことからきた俗説で、野外では1ヶ月ほどとも言われている[2]。

さらに、幼虫として地下生活する期間は3-17年(アブラゼミは6年)に達し、短命どころか昆虫類でも上位に入る寿命の長さをもつ。

巣鴨庚申塚

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庚申塚の項をクリックすると、次のようなことが書いてあります。
巣鴨庚申塚は江戸時代中山道の立場として栄え、旅人の休憩所として簡単な茶店もあり、人足や馬の世話もしていました。江戸名所図会ではそれらの様子がにぎやかに描かれています。
ここは中山道板橋の宿場にも近く、右に向かえば花の名所「飛鳥山」、紅葉の王子にでる王子道の道しるべを兼ねた庚申塔が建っていました。庚申塚は広重の浮世絵にも描かれています。
  現在は庚申堂に猿田彦大神を合祀しています。猿田彦大神とは日本神話に登場する神様です。天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり道祖神と同一視されました』

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更に、庚申信仰を調べると、
『十干十二支の組合せの一つで、60日または60年ごとに巡ってくる庚申(かのえさる)の日に営まれる信仰行事。元来は道教の三尸(さんし)の説に端を発している。人の体内にいる三尸という虫が、庚申の夜に人が眠るのを見澄まして天に昇り、天帝にその人の罪を告げる。すると、天帝はその人を早死にさせるというのである。したがって、長生きするためには、その夜は眠らないで身を慎むのである。
庚申と猿との関係や道祖神との習合もそうした過程で結び付いたようである。いずれにしても、庚申信仰の中心は夜籠(よごも)りするということであったらしく、この夜できた子供は泥棒になるとか、「話は庚申の夜」というような眠ることに対する禁忌がいまだに伝えられている』

ですから、庚申の夜は眠らずに一晩中起きていたそうです。この夜に寝ていて身ごもった子供は、泥棒になるという言い伝えから、この晩の交合は控えたそうです。

いつもはひっそりしている「猿田彦大神」の祠にも申年と庚申の日には、災難などを「サル」という語呂合わせからでしょう、参拝する人が後を断ちません。

投げ込み寺 三ノ輪浄閑寺

三ノ輪の都電終点から日光街道へ出ると、すぐ目の前に大きな木が数本見えてくる、そこが投げ込み寺と称された浄閑寺だ。

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新吉原に近いことから、病気などで死んだ遊女達がコモに巻かれて門前に投げ込まれていたので、"投げ込み寺"の名が付いたらしい。その他火事や震災などで死んだ身元不明者が投げこまれたからとも言われている。

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寺の入口にお地蔵様があるが、これは「小夜衣(さよぎぬ)供養地蔵」と呼ばれる吉原の遊女小夜衣(さよぎぬ)の墓。吉原京町にあった四つ目屋善蔵の廓から火が出た、それを性悪な女主人が小夜衣の放火と偽り、罪をきせて火あぶりに処せられてしまった。その後、小夜衣の一周忌、三周忌、七周忌の度に廓内からは火が出て、ついに四つ目屋は全焼し潰れてしまった。廓内の人々は小夜衣の怨霊に違いないと、霊を鎮めさせる仏事を行ってからは不思議なことに火事は無くなったと伝えられている。

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入り口を入るとすぐに明治の「角海老楼」の遊女「若紫」(わかむらさき)の墓がある。若紫は器量よく性格も穏やかで誰からも好かれていた。5年間の年季があと5日で終わろうとする夜、登楼してきた一人の客の人違いから匕首で殺されてしまった。年季が明けたらと言い交わした許婚(いいなずけ)との生活を楽しみにしていた矢先の出来事で、朋輩も楼主もひどく残念がり、その死を惜しみこの世界では珍しく浄閑寺の寺内に墓を建てた。

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寺の奥には吉原で亡くなった遊女達の供養塔が建てられている。1657年から301年間にこの寺に葬られた遊女の数およそ3万といわれている。投げ込み寺は浄閑寺ばかりではないので、常時「遊女3000人」を誇っていた江戸随一の花街には、夥しい数の辛苦や病苦を味わって死んでいった若い娘たちがいたのだろう。それを嘆じた遊女買いのエキスパートでもあった永井荷風は、たびたびこの寺を訪れ碑を残している。

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この寺を訪れると投げ込まれた霊気のせいか、何となく暗く重苦しい雰囲気が漂ってくる。こうした悲しい運命の中に生きた若い女性が世界から1人でもなくなることを祈りながら寺を後にした。

老後はばら色?

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以前から退職後の人生は、「第三の人生」「豊かな老後」などなど、いろいろと夢のある老後が言われているが、すべて嘘。

やることがないなどとはならないし、結構忙しい。体も衰えてきて無理が利かなくなってくる。歯も治療しなければならない、マッサージにも行かなくてはならない。退職すると途端に、クラス会が増えてくる。

余裕のあるゆったりとした自分だけの時間など、そうそう取れるものではない。そのうち階段の上り下りにも手すりが必要になるし、杖も使うようになる。

旅行にもそれほど行けなくなり、ずっと行きたかった海外旅行でも、帰ってくる途端に疲れがどっと出て寝込む人が多い。もっと不幸な人はそのまま入院なんていうこともある。そうかといって自由の利く個人で海外旅行できる人は、そうはいない。第一ツアーと違って数倍のお金がかかってしまう。

そして一番の煩わしさは、いつまで生きられるかが分らないことだ。それによって蓄えの使い道が違ってくる。

「老後の楽しみ方」などと言う本などたくさん出ているが、あれは単なる「夢物語」。こうなるといいな、という若い編集者達が書いている夢物語でしかない。退職したロートルはこの作業には関わらないはずだ。たとえ年寄りが関わったとしても、編集者達の意向があるので事実は書けない。しかし実際の老後は辛いものがあるのが、事実なのだ。

日本の門

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神社の門のいくつかであるが、一般に"門"は塀などで囲われた土地への入り口に据えられるもの、で他人と所有者とを区切る境の入り口なる。神道では神の世界への入り口に設えられたもの。つまり異郷、異界への入り口としての境界の入り口だ。神道や仏教の世界では、聖なる領域と俗なる領域を分ける為にこうした"門"が設えられる。

大きな神社で見られる赤い門は、赤が邪気を追い払うという言い伝えから、鬼や邪悪なものから身を守る意味があるという。世界中"門"はたくさんあるが、神社仏閣の多い日本にはかなりの数の"門"が存在する。おそらくその数は世界一というほどではないだろうか。その訳は日本ほど神様が多い国はないだろうから。

マヤやインカや古代インドなどでは多くの神が存在したが、日本の神は「八百万」(やおよろず)の数がある。日本に人が住み着いたのは数十万年前と推定されるが、その頃から、われわれの祖先たちは自然の中に"神"の存在を考え出してきた。キリスト教イスラム教やユダヤ教のような一神教とは、全く違った世界観が昔から日本には存在する。一神教のように太陽も月も星も自然も、人間も全て神が創ったという思想ではなく、自然が人間を作ったという根本思想に基づいている。

であるから日本を訪れる一神教の中で育った人間には、日本が異郷に思えてしまい「日本は特殊だ」と言わせる。別に特殊でもなんでもなく、日本人はごく自然な考えの持ち主なのだ。われわれにしてみれば、一神教の人々のほうが特殊なのだ。これからは日本に入国する全ての入り口に、大きな赤い門を設えて外国人の持つ「邪気」を払ったほうがいいだろう。

 

Panasonic lumix GM1 壊れる

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お気に入りのパナソニックGM1の超小型ズームレンズが壊れた。パナの修理工房で見積もりしてもらったら27400円だと。新品でももっと安く買える。

続いて本体の電源スイッチが固くなってきたと思ったら、外れてしまった。これでは写真を撮ることもできない。電話では見積もり13000円ぐらいとのこと。

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レンズもスイッチも接着剤で貼ってあるようだ。これではいつか壊れるのは当然。どちらも直さずに新しいのを使う。

パナソニックは、この小型軽量でしかも写りのいいカメラの後継を永い間放棄している。なぜだか知らないが、もう製造はしないのだろう。かなりの後継機を望むコメントがネットに散見される。自分も後継機を期待している一人だが望みはゼロに近い。この機種お気に入りなので全部で6台保管してあった。そのうち1台が壊れた。後継機がなくてもまだ当分使える。しかし永く使ってきたモノには何故か愛着がわく。壊れて使えなくなっても手元に置いてある。そんな時はこの小さな形態でつくづくよかったと感じる。カミさんにそんな壊れたもの早く捨てて、と言われずに目立たないから。

両国国技館

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相撲も全く面白くない。勝つのはモンゴルばかりで、たまにあいつらが休場の時だけ日本人力士が優勝したりするが、次の場所になると駄々負けするのが、最近の傾向。日本人力士は太りすぎだ。近頃の親方は太らせればいいと思っているきらいがあり、どの力士も数場所すると太鼓腹になっている。

第一モンゴルは入れるな、国技の相撲が外人ばかりになるのは我慢できない。見ていたって面白くも何でもない。マナーや日本の文化も知らないモンゴルからのガラの悪い奴らを出稼ぎに来させて、数十億円稼がせるなんて相撲協会お前らはバカか。