東京露地考

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小沢信夫「いま・むかし東京逍遥」昭和58年 にこんな一節がある。

・・・そのビルとビルの隙間を左に折れる。すると裏側は、小さな家並みがひしめいている。ウサギ小屋クラスの住宅、家内業程度の印刷下請工場、小商店、木賃アパート群。それらが路地に植え込みをつくり、鉢をならべて暮らしているのだ。
 名所旧蹟も、有名な老舗があるわけでもない。ややくすんだ、変哲もない庶民の町だ。が、案外とここが私は気に入っている。この入りくんだ路地の一隅に、じつは拙宅があるのである。
 ここに住んで十余年。愚妻はホトホト飽きたと愚痴をこぼすが、私は、表通りのビル公害(日照と風)のほかにはべつに不服はない。よそへ引越そうにもカネがない、というのが実状ながら、路地暮らしのノドカさは手離しがたい。ホント。路地は車に対して聖域であって、二六時中歩行者天国だ。人間のほかは猫と鼠とヒキ蛙しか歩かないのだ。

こんな定義で露地を考えると、写真 上と中は当てはまるが一番下のは車からの聖域にはなっていない様である。しかし、露地とか横丁とかに特別シャッチョコだった定義があるわけではないように思うから、下の写真も露地に入れちゃおう。

そもそも、そんなことを考えながら散歩もしたことないし写真を撮ったこともない。ただこれからは、こんな大それた「東京露地考」なんて題をつけた以上、少し気をつけて歩くことにしよう。 


東京は露地の街といっても過言ではないほど、あちこちに細い露地がひしめいている。露地が多いのは何も東京に限ったことではないが、特に古い街には多い。

新しく開発された場所には狭い路地などというものは存在しない。露地は決まって旧い街に存在する。理由はいくつかあるだろうが、おじちゃんはその確たる理由をまだ見つけていない。

露地がある街は、きれいとか整然とかの言葉からは対極の位置にある。雑然とした中に露地は佇んでいて、何か秘密の場所にでも誘うような雰囲気を漂わせて潜んでいる。

昔の赤線だった玉ノ井には、「通り抜けできます」という貼り紙が入り組んだ露地のあちこちに見かけられたそうだが、そんな露地を一度目にしてみたかった。

アメリカにはニューヨーク以外の街で、いわゆる、といっても規定があるわけではないが、露地と言うものを見かけた事がない。反対にヨーロッパの旧い街には、必ず日本と同じ様な狭い露地がある。そんな露地があると、きっと入っていく習性があるので、もっと早くから露地について考察すべきだったと今更ながら思う。

露地は人の心を癒す効果もあるように思う。第一、狭い露地には車が来ない。それだけでも少し安心できる。(ヨーロッパでは、こんなところをと思われる狭い露地にも車が入ってくる事があるが)次に、冒険心を掻き立てられる。まるで見知らぬ土地へ行く探検家のような気分に、少しの間だがなれる。

そして何より、露地には、そこに住む人の匂いが、生活の匂いがしみこんでいる。