感銘すると

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また京都での想い出を一つ。浅博のおじちゃんは中学校の教科書に載っていた弥勒菩薩の写真を見ていましたが、その時まで法隆寺の物とばかり思っていました。これは京都の広隆寺所蔵のものでした。

ショックでした、薄暗い堂の中で何体もの仏像の真ん中に、畏敬を感じる姿を見たときは。元来おじちゃんは勘が鋭いのか、この身震いするような畏敬の念を感じたのは今までの人生で3度あります。

はじめはミロのビーナスを見たときでした。身体の中からがつっーんと何かが全身に走りました。自然光の中で浮かび上がるビーナスに神々しいまでの美しさを感じました。しばらくボウゼンとして何も考えられずにただ見つめていました。あれがきっと無我の境と言うものなのでしょう。

二度目はマンハッタン島からひとり、夜のフェリーに乗ったときでした。ライトアップされ真っ暗な夜空に浮かび上がった、リバティ島に立つ自由の女神像を見たときです。暑いニューヨークの夏でしたが、ハドソン河の川風が優しく頬をなぜています。船は女神像にぐんぐんと近づいて行きます。そしてまたミロのビーナスと同様、ただボウゼンと見つめ続けていました。気がつくと、風がなでている頬に冷たいものを感じました。悲しくないのに涙が流れているのです。こんなことは経験がなかったので不思議でした。

そして今度の弥勒菩薩です。全身から力が抜けました。そして30分ほどただ見つめ続けていました。なんと表現してよいのか言葉を知りません。

人間の創造力は素晴らしいです。こんな感動を与えるものを創り出してしまうんですから。しかも何千年の昔から。