巣鴨庚申塚

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庚申塚の項をクリックすると、次のようなことが書いてあります。
巣鴨庚申塚は江戸時代中山道の立場として栄え、旅人の休憩所として簡単な茶店もあり、人足や馬の世話もしていました。江戸名所図会ではそれらの様子がにぎやかに描かれています。
ここは中山道板橋の宿場にも近く、右に向かえば花の名所「飛鳥山」、紅葉の王子にでる王子道の道しるべを兼ねた庚申塔が建っていました。庚申塚は広重の浮世絵にも描かれています。
  現在は庚申堂に猿田彦大神を合祀しています。猿田彦大神とは日本神話に登場する神様です。天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり道祖神と同一視されました』

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更に、庚申信仰を調べると、
『十干十二支の組合せの一つで、60日または60年ごとに巡ってくる庚申(かのえさる)の日に営まれる信仰行事。元来は道教の三尸(さんし)の説に端を発している。人の体内にいる三尸という虫が、庚申の夜に人が眠るのを見澄まして天に昇り、天帝にその人の罪を告げる。すると、天帝はその人を早死にさせるというのである。したがって、長生きするためには、その夜は眠らないで身を慎むのである。
庚申と猿との関係や道祖神との習合もそうした過程で結び付いたようである。いずれにしても、庚申信仰の中心は夜籠(よごも)りするということであったらしく、この夜できた子供は泥棒になるとか、「話は庚申の夜」というような眠ることに対する禁忌がいまだに伝えられている』

ですから、庚申の夜は眠らずに一晩中起きていたそうです。この夜に寝ていて身ごもった子供は、泥棒になるという言い伝えから、この晩の交合は控えたそうです。

いつもはひっそりしている「猿田彦大神」の祠にも申年と庚申の日には、災難などを「サル」という語呂合わせからでしょう、参拝する人が後を断ちません。