後楽園

f:id:mitokioquerido:20181117222944j:plain

散歩コースのひとつに後楽園がある。そばを通ると連日コースターからの嬌声が聞こえてくる。小学生の頃はよく乗り物に乗りに来たものだ。夜はというと巨人軍のナイターをよく見に来た。

今では球場はドームになり、遊園地は温泉やらレストラン街やらホテルやらで様変わりしているが、おじちゃんの中ではさほど変わっていない。なんかこのー後楽園とは昔もこんな雰囲気だったから。

もっと昔の江戸時代にさかのぼると、この辺一帯は水戸徳川家の江戸上屋敷内の庭園だった。1629年初代の水戸藩主頼房が庭の造営に着手し、2代、黄門様で有名な光圀に引き継がれた。中国オタクの光圀の中国趣味を取り入れた回遊式築山泉水庭園とかで、おじちゃんにとっては趣味が悪いとしか言えない庭だが、歴史的には価値があるのだろう。ちなみに後楽園と命名したのは光圀だそうだ。今でも人気があるのはこのせいかもしれない。

その後明治4年東京兵砲工廠として日清、日露戦争の武器弾薬を製造していた。その頃近くに住んでいた樋口一葉は、ここで働く職工たちや小石川にあった遊郭(昭和になっても永井荷風がよく通いここを舞台に「おかめ笹」を著している)での遊女との手紙の代筆による交流から「にごりえ」のおりきが生まれた。そんなわけで我々にも結構縁の深い場所なのである。

その後空き地になっていた国有地を読売の正力松太郎らが政府から払い下げてもらい昭和12年後楽園スタジアムを設立し現代に繋がっている。

東京の都心にこんな遊園地なんてもったいないとも思われるが、一つの歴史と文化の象徴として「後楽園」は生き残って欲しい。