佃煮

f:id:mitokioquerido:20190412161422j:plain

佃煮の誕生

本能寺の変の時信長の命で堺を見物していた家康ですが、光秀が信長を討ったと言うことを聞いて、少ない家臣しか同行していない家康は慌てて三河へ戻ろうとしましたが、佃村の漁師たちに助けられました。その後、天下を取った家康はそれに感謝して佃村の漁師たちを江戸に迎え入れました。

家康と共に大坂から来た佃村の住人たちが、佃島に住み着き、将軍家に白魚を献上し、残った小魚を醤油で煮込んで保存食としたということが、佃煮の由来だと言われています。しかし、おじちゃんは佃煮のような保存食は、もっと以前からあったように考えています。

なぜなら、醤油は室町時代には醸造されていましたし、醤(ひしお)という大豆を塩とともに発酵させたものは、縄文時代にさかのぼって常用されていたそうですから、生ものの保存調味料として使われていたのは、かなり以前に遡れると思います。

現在の佃煮は、砂糖が大量に使われていますので、とても食べやすくなっていますが、冷蔵庫が普及しない以前の佃煮は、もっと塩っ辛いものだったそうです。野菜や魚介類は傷みやすいですから、長期に保存するのには、かなりの塩分が必要だったでしょう。当時の佃煮は梅干しと同じで安い食べ物の代表でしたが、現在ではどちらも高級な食べ物になってしまいました。

f:id:mitokioquerido:20190412182155j:plain

日本人の知恵は、相当昔から食料の貯蔵方法として、塩漬けだの、発酵だの、乾燥だの、佃煮だのとさまざまな手法が考え出されてきました。今では昔風の塩っ辛い佃煮は敬遠されるでしょうが、たかが佃煮と思いますが、それに至るまでには先人の知恵が詰まっているんですね。