滝野川の由来

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巣鴨の地蔵通りは今では婆さんだらけで混雑していて歩けないので、国道17号か大塚寄りの清和小学校の通りを通って、庚申塚へ出て再び旧中仙道を歩くと、人も車も少なく気持ちよく歩ける。

元来、おじちゃんは観光地や混雑しているところが大嫌いだから、こうした空いている道を見つけては散歩を楽しんでいる。

種村なにがしとか言う博学者が書いた本だったと思うが、「東京探訪」だったかな、そんな名前の本に東京は崖地が多く巣鴨から王子にかけてはあちこちに滝があったようだ。それでこの辺りを「滝野川」と呼んだ、と出ていたようなそんなことからついた名前らしい。

 

東京は今でも坂が多いので有名だ。そもそも山の手と下町の分け方は、崖地の上と下を語ったものだ。明治の終わりころまでの東京は、崖と谷と川の多い場所だったのだ。だから街の名前にも、だいぶ変えられてしまったが、それでも四谷、谷中、上野、品川、新橋、板橋など地形に因んだ名前が多い。 

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      広大な敷地の亀の子たわし会社

散歩に戻ろう。旧中仙道を明治通りから少し入ったところに、かなり広い敷地の場所がある。誰でも知っているあの「亀の子たわし」の会社だ。最近までおじちゃんも、こんなところにあるとは気づかなかった。今でも立派に営業を続けている。

この旧道をまッつぐ行くと板橋の駅に出る。踏み切りの手前の信号を左に曲がると、近藤勇の墓がすぐにある。