東京の桜は満開

 

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昨日、今日で東京の桜は何処も満開。おじちゃんは混雑している満開の花を見るのは、敬遠です。第一以前から言うように、ソメイヨシノはあまり好きじゃないんです。

桜の一番好きなのは、はらはらと花びらが散るころが、なんかこのー趣があってとても感動を覚えます。

高校の時習った吉田兼好の「徒然草」にも、そんな箇所がありました。先生は、この兼好法師という人はあまのじゃくだねー、と言っていたのでよく覚えています。

しかし、おじちゃんも、兼好法師が言っていることが分かるようになってきました。どんな現象の中にも無常観があり、それを解することこそこの世を知り、人生を知ることだと。しかも兼行は満開の桜も否定していません。そういう悟った心境になりたいものです。
それにしても今朝は寒い。


『花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の
行衛知らぬも、なほ、あはれに情深し。咲きぬべきほどの梢、散り萎れたる庭などこそ、
見所多けれ』徒然草137

「おじちゃんの訳」
さくらの花は満開の時を、月は満月だけを見るものだろうか。 雨が降って見えない月を
恋しく思い、家に閉じこもっていて春が終わっていくのを知らないのも、また、それはそ
れで趣があるものである。まもなく咲こうとしているつぼみの枝や、散ってしおれてしま
った花の落ちている庭などこそ、見る価値が多いものだ。

 

 

 

 

 

 

ヤラセの蔓延

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寒さもゆるみ暖かさがましてきたが、やっと寒さと暖かさのハザマにも体が慣れてきた。街歩きもそれほど苦にならなくなってきている。

最近は地方に行っても、地方色などというものは全く失われてしまい、東京と、どこも変わらない風景になってしまっている。折角の地方の文化をしっかりと守って欲しい、と思ってみてもはじまらないだろう。第一かく云う東京自体がその姿を日々変容し続けている。

嘆いていたところで、なんの解決にもならないし、時代錯誤と言われてしまうかもしれないが、そう揶揄する者たちによって地方も東京も、破壊され続けてゆく。

古くは「日本列島改造」など、と大ナタを振るい自己の利益のために地価をべらぼうに高騰させた田中角栄。そして今日のすさんだ格差社会と、日本人から夢を奪ってしまった小泉純一郎。どちらもヤクザの血を引いた大悪人だ。

しかし、不思議とジャーナリストたちはこいつらを礼讃する。日本のマスコミジャーナリズムが腐敗し臨終している証拠だ。その点ネットはまだ個人の自由な意見が述べられる唯一の手段として生きている。しかし少数の不心得者のネットでの言動が、全ての自由な意見を検閲などという手段で封殺する恐れは常に含んでいる。

まずヤフーの質問コーナー「ヤフー知恵袋」に北朝鮮のことを書いたら削除されたし、「ぐるなび」にはお店の悪口は一言も書けない。それらは全て削除だ。これは「ぐるなび」が掲載店から毎月最低6万円以上の金銭を受け取って運営している不正行為にあるらしい。どちらも読者を欺くセコイ商売のやり方だ。

無教養で不道徳で腐りきった、こうしたマスコミの溢れかえる多くの「ヤラセ」情報からは、あまり得るものが少なくなっている。溢れカエル情報の中から、真実を見出す人間もまた減少している。価格コムやぐるなび、ヤフーなどのネット情報は便利なようでスカを摑んでいる可能性が多いのだ。

いつか日本中が「ヤラセ」だらけにならないことを危惧する。

 

 

 

 

 

猫の墓 ひねもす のたりのたりかな

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陽気は猫の眼のように変わり、寒いと思うと急に暖かく、暖かいと思うと急に寒くなったりで体調を崩しやすい。

漱石の次男の夏目伸六の随筆に「猫の墓」と言うのがあったと思う。父漱石と母のことなどが綴られていたが、確かその中に猫の墓が出てくる。

染井をうろついていると、猫が日向ぼっこをしていて、ふと、その随筆「猫の墓」を思い出した。気持ちよさそうに、まるで自分の領地でもあるかのように横柄にのんびりと寛いでいた。

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漱石も別段猫好きだったようではなく、家族の誰かが貰ってきた猫を飼っていたらしい。それも死ぬと次から次と、いうふうだから、あながち嫌いだったわけではないだろう。さらに小説になって夏目家の猫の価値がグッと上がったのだから、邪険には出来なかっただろう。

そして借家住まいから、当時はまだ田舎だった生誕地の早稲田に五百坪以上はある土地を買い移り住み、そこでもなお猫を飼っていた。人間同様、猫の生涯も色々だ。

 

 

 

 

感銘すると

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また京都での想い出を一つ。浅博のおじちゃんは中学校の教科書に載っていた弥勒菩薩の写真を見ていましたが、その時まで法隆寺の物とばかり思っていました。これは京都の広隆寺所蔵のものでした。

ショックでした、薄暗い堂の中で何体もの仏像の真ん中に、畏敬を感じる姿を見たときは。元来おじちゃんは勘が鋭いのか、この身震いするような畏敬の念を感じたのは今までの人生で3度あります。

はじめはミロのビーナスを見たときでした。身体の中からがつっーんと何かが全身に走りました。自然光の中で浮かび上がるビーナスに神々しいまでの美しさを感じました。しばらくボウゼンとして何も考えられずにただ見つめていました。あれがきっと無我の境と言うものなのでしょう。

二度目はマンハッタン島からひとり、夜のフェリーに乗ったときでした。ライトアップされ真っ暗な夜空に浮かび上がった、リバティ島に立つ自由の女神像を見たときです。暑いニューヨークの夏でしたが、ハドソン河の川風が優しく頬をなぜています。船は女神像にぐんぐんと近づいて行きます。そしてまたミロのビーナスと同様、ただボウゼンと見つめ続けていました。気がつくと、風がなでている頬に冷たいものを感じました。悲しくないのに涙が流れているのです。こんなことは経験がなかったので不思議でした。

そして今度の弥勒菩薩です。全身から力が抜けました。そして30分ほどただ見つめ続けていました。なんと表現してよいのか言葉を知りません。

人間の創造力は素晴らしいです。こんな感動を与えるものを創り出してしまうんですから。しかも何千年の昔から。

 

 

 

 

 

 

 

本郷界隈

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この界隈を下町と称する無知無学な輩がいるが、ここはれっきとした昔からの山の手である。下町とは昔は粋でイナセで洒落た場所、反対に山の手とは野暮で田舎くさく、江戸っ子には自慢できる場所ではなかった。確かに、ここ本郷は粋とかイナセとかの言葉から来る元気で活発な感じは全くない。品格のある住宅街である。

矢田挿雲著の「江戸から東京へ」の本郷区編には、確か、本郷森川町は寂しくて辻斬りがよく出没した場所、として書かれていたように記憶している。(年齢とともに痴呆気味になりつつあるので記憶違いだったら悪しからず)志ん生の落語にも、森川町に辻斬りが出たという、試し斬りを「茶飯斬り」に引っ掛けた話がある。

それほど寂しい場所だったのは、21世紀の現在でもさして変わりがない。相変わらず寂しい場所である。それと区画整理がされていないのか、狭い道路が多い。狭いから畢竟、車の往来が少なく散歩するには都合が良い。

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振袖火事(1657年 明暦3年)で江戸の三分の二が消失し、人口の一割に当たる10万人の死者を出した大火の火元と言われている本妙寺も、ここ本郷の加賀100万石、前田家中屋敷跡の東大と向かい合う広大な敷地を有していたが、火災後、現在の駒込染井の墓地へ移された。

一方火元の門前にあった前田家ではその教訓から、後世、絶倫将軍の異名を持つ十一代家斎の娘溶姫が嫁した折、将軍から許された御朱殿門(いわゆる赤門)を守るため、門前の百数十件の家を立ち退かせ、火除け地をもうけ、かの有名な「加賀鳶」を創設この門を火から守った。

東大の前を通る本郷通りは、今では車の往来が一日中絶えないが、車の発達する前の明治の頃でも、漱石の「三四郎」によると市電がチンチンと音を立てて往来し、田舎出の三四郎を驚かせた、とある。

「江戸切り絵図」を見ると江戸時代を通じて、本郷通りの周辺には大名の中屋敷が多く見られる。駒込六義園は五代綱吉時代に老中に大出世した柳沢吉保の別荘跡、隣接する超高級住宅街、駒込大和郷は将軍のお駕籠組と加賀前田家の抱屋敷跡、巣鴨一帯は最後の将軍慶喜の屋敷跡だし、通称巣鴨三菱村は慶喜と豊後松平家と藤堂家下屋敷の跡地の一部を所有している。

本郷から遠くなってしまったが、本郷界隈は武家地と寺地が多かったので、大通りから少し入ると、都心の割りに現在でも静かな環境が残されている。それでも日々変容する東京の中にあって、いつまでこの環境が保てるか、はなはだ心配になる。

 

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本郷界隈は近いのと、さんざん歩きつくした感があるので、さして興味はわかないが時々は散歩をする。所々に古い東京がまだ残っていて、雰囲気としては、おじちゃんの好きな界隈ではある。さほど歴史にも詳しくなく、調べるのもナマケ者の習性で面倒だから、ただ歩くだけである。

東大に近い西片町は、かつて漱石や鴎外、四迷、近くには一葉などが住んでいた場所で、土地柄学者たちが多く住んでいたので、以前は学者町と呼ばれていたらしい。現在でも品格ある高級住宅街である。概して東京と言うところは、高い所に高級な住宅が集まる傾向が見られるのは、散歩の経験からの発見である。

もう一つ散歩の経験から感じ取ったことは、東京では大体交通の便が悪いところは現在でも昔の面影を留めているところが多い。ここ西片も現在でこそ、わりと近くに地下鉄が出来てはいるが、それでも駅までは結構な距離がある。15分以上は歩かなければならないところが多い。そのせいもあり、まだ閑静な佇まいを残している。

 

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チンドン屋さんが怖い 滝田ゆう

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そんなばかなと笑われるかもしれないけれど、チンドン屋のおじさんも、なにやら怖くて、ぼくはほとんど傍へ寄れなかった。手甲脚絆に草鞋掛け、三度笠かぶって、鉦と太鼓で、町中を練り歩くさまは大いに興味をひかれるものの、それは半ば怖いもの見たさというやつで、その白塗りの目もと鼻筋、への字に結んだ口もとは、とても昭和の人間とは思えず、ピカピカ光る長脇差のこじりにも凄味覚えて、「ねえ、その刀抜いてみな」などと、ほかの連中のように、容易に気安く振る舞うことは出来なかった・・・ようなわけであります。

けど、怖い怖いといいながらも、まるでなにかに憑かれたように、どこまでも後をついて行ってしまう・・・。

 

チキチンチ、チンチドンド、チンドンドンッ。チンチドンド、チンチドンド、チンチドンド、チンドンドン。あ、それっ。いやどうも、きりがないスね。で、つまりこの、相方はクラリネットにしろ、サックスにしろ、そのメロディーの旅笠道中であれ、妻恋道中であれ、そのチンチドンドと噛み合う調子の、いかにも場末のニッポン人にふさわしく、やがて日暮れの裏通り、空に茜の流れ雲明日わが身のおきどころ・・・とくるにおよんでは、子供ごころにも、ふっとひととき、なにやら人生の哀感胸に込み上げて、どうせ家に帰ったっておもしろくもなんともないや、ねえ、おじさん、このままぼくをさらってよ・・・って、しとさらいじゃないやぃ。チンドン屋のおじさんは、それにチンドンチンドンって、怒るぜ、仕舞いにゃ。

 

しかし不思議ですね。どうして消防車とか、チンドン屋さんとかが怖かったんですかね。やっぱり育ちのせいですかね。

いえ、べつに因果関係なんてありません。心にやましいこともありません。とすると、これは案外その裏返しということかも・・・。いや、でも怖かったデシ。恥ずかしいデシ。

 

これは、滝田ゆうの「昭和夢草子」の中の一篇です。

 

 

 

 

世の中そんな甘いもんじゃないよ

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※実際にあった話です 

居酒屋でたまたま隣り合わせた二人の男が話し始めました。

「ここは酒の量りがいいよねー」
「そうですねー、酒飲みはお猪口一杯分でも余計に入っていると嬉しいですからね」
「そうそう、あんたもなかなか呑み助だね」
「エー、酒飲みはみんなおんなじでしょ」

「それはそうだ。ところであんた、あんまり見ない顔だねー」
「えェ、はじめてなんですよこの店、今日が。いやねー、外歩いてると、突然このー、焼き鳥の香ばしいたれの匂いが鼻に入ってきてね、もう堪らなくなって入っちゃつたんですよ」
「そうかい、ここの焼き鳥はまた旨いからねー、先代からだよーここのたれは」
「そうですか、そんなに旨いですか」

「何なら食べてみなよ、もうすぐ来っからよー。ほらほら来た来た、いいから一本やんなよ」
「そうですか、すんませんねー、そいじゃひとつ、ごちんなりますよ。おっ、こりゃ旨い、肉もいいけど、たれが確かにうめぇや」

「そうだろ。ここんちの食ったらよー、よそのなんて食えねぇーよ」
「ほんとですね、確かに旨いや。こんな旨いのないねー、初めてですよ、こんなうめーのは」

「お前さん味にもうるさいんだねー」
「いいえ、なにね、うるさいってわけじゃないんですけどねー、やっぱり人間どうせ食うんなら旨いもん食ってみたいですからねー」

「そうかい。旨いってぇばよー、俺の行ってる現場の近くのうなぎ屋、これがよー、おめえほっぺたが落ちそうなくらい旨いんだ。口に入れるとよー、こぉー、トローツと、とろけちゃうってーのかねぇー」
「そんなに旨いんですか」
「そりゃーうめーなんてもんじゃねぇな、あれは一番だな」

「そうですか」
「おい、おめぇ疑うのか。そうですかじゃねぇよー、嘘だと思ったら行ってみなよ」

「大将そんなに旨いんだったら是非ご馳走してくださいよ」


その瞬間、大将と呼ばれた男は、すっと身を起こして、

「あんた、ずうずしいねー、(語気を強めて)世の中そんな甘いもんじゃないよ」

 

 

 

 

 

 

東京露地考

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小沢信夫「いま・むかし東京逍遥」昭和58年 にこんな一節がある。

・・・そのビルとビルの隙間を左に折れる。すると裏側は、小さな家並みがひしめいている。ウサギ小屋クラスの住宅、家内業程度の印刷下請工場、小商店、木賃アパート群。それらが路地に植え込みをつくり、鉢をならべて暮らしているのだ。
 名所旧蹟も、有名な老舗があるわけでもない。ややくすんだ、変哲もない庶民の町だ。が、案外とここが私は気に入っている。この入りくんだ路地の一隅に、じつは拙宅があるのである。
 ここに住んで十余年。愚妻はホトホト飽きたと愚痴をこぼすが、私は、表通りのビル公害(日照と風)のほかにはべつに不服はない。よそへ引越そうにもカネがない、というのが実状ながら、路地暮らしのノドカさは手離しがたい。ホント。路地は車に対して聖域であって、二六時中歩行者天国だ。人間のほかは猫と鼠とヒキ蛙しか歩かないのだ。

こんな定義で露地を考えると、写真 上と中は当てはまるが一番下のは車からの聖域にはなっていない様である。しかし、露地とか横丁とかに特別シャッチョコだった定義があるわけではないように思うから、下の写真も露地に入れちゃおう。

そもそも、そんなことを考えながら散歩もしたことないし写真を撮ったこともない。ただこれからは、こんな大それた「東京露地考」なんて題をつけた以上、少し気をつけて歩くことにしよう。 


東京は露地の街といっても過言ではないほど、あちこちに細い露地がひしめいている。露地が多いのは何も東京に限ったことではないが、特に古い街には多い。

新しく開発された場所には狭い路地などというものは存在しない。露地は決まって旧い街に存在する。理由はいくつかあるだろうが、おじちゃんはその確たる理由をまだ見つけていない。

露地がある街は、きれいとか整然とかの言葉からは対極の位置にある。雑然とした中に露地は佇んでいて、何か秘密の場所にでも誘うような雰囲気を漂わせて潜んでいる。

昔の赤線だった玉ノ井には、「通り抜けできます」という貼り紙が入り組んだ露地のあちこちに見かけられたそうだが、そんな露地を一度目にしてみたかった。

アメリカにはニューヨーク以外の街で、いわゆる、といっても規定があるわけではないが、露地と言うものを見かけた事がない。反対にヨーロッパの旧い街には、必ず日本と同じ様な狭い露地がある。そんな露地があると、きっと入っていく習性があるので、もっと早くから露地について考察すべきだったと今更ながら思う。

露地は人の心を癒す効果もあるように思う。第一、狭い露地には車が来ない。それだけでも少し安心できる。(ヨーロッパでは、こんなところをと思われる狭い露地にも車が入ってくる事があるが)次に、冒険心を掻き立てられる。まるで見知らぬ土地へ行く探検家のような気分に、少しの間だがなれる。

そして何より、露地には、そこに住む人の匂いが、生活の匂いがしみこんでいる。

 

 

 

 

 

 

江戸川柳

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落語の中には川柳や都々逸がよく登場します。毎年だかやっているサラリーマン川柳やシルバー川柳の中には、結構面白いのもあります。川柳は好きですが、江戸川柳はかなりの教養がないと理解できない事があります。例えば

『五十字に足りず万事の用に足り』

これは弘法大師が創ったと言われる「いろは」を詠んだものです。

『弘法は裏 親鸞は表門』

これなどトンと見当がつきませんが、女人禁制を厳しくした空海と妻帯を認めた親鸞を考えれば謎が解けます。

江戸時代にはイケメンの代表と考えられていた、平安貴族で六歌仙のひとり在原業平(ありわらのなりひら)ですが川柳になると、

『井戸端で こしゃくな子供 口説き初め』

これは業平の次の和歌を知らなければ理解できません。かなり小さい時分に初恋の相手に詠んだ歌ですが、

『筒井筒 井筒にかけしまろが丈 過ぎにけらしな 妹見ざる間に』
 
それに対する幼い紀有常の娘の返歌が

『比べこし 振り分け髪も 肩過ぎぬ 君ならずして 誰かあぐべき』

そして先日書いた西行の入寂を

『如月のその望月に西へ行き』と詠んだのも

「願わくば 花(桜)の下にて春死なん その如月の望月の頃」を知らないとなーんだとなってしまいます。

しかし以下のものはそうした知識が無くても結構判りやすいものです。

『形見分け もらう気で 下女やたら泣き』

『仲人は 小姑一人殺すなり』

『琴になり下駄に為るのも桐の運』

『里帰り 夫びいきにもう話し』

『上っても峠を知らぬ欲の道』

江戸の庶民はかなりの教養を供えていたようです。川柳のほかにも、判じ絵なども諸事に通じていなければ、さっぱり分かりません。それは江戸時代には、全国に普及していた寺子屋のおかげでしょう。読み書きそろばん、その他必要な教育を、このシステムが江戸っ子たちに具備させた事実は素晴らしいものがあります。

神社仏閣に残る江戸時代の絵馬には、現代の数学者でも舌を巻く「算学」の問題などが奉納してあると云うから寺子屋恐るべしです。問題山積の現代の教育制度も寺子屋を見習った、もっと実践的なものに変えたらどうだろうか、と思います。

 

 

 

 

 

ちょっと!そんな新しいの着てどこ行くの?

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おじちゃんの友人で中年を過ぎた売れない落語家がいます。先日、目をつけていたクラブのホステスとやっとのことでデートにこぎつけたそうです。

そして普段着ることのない新しい背広を大枚をはたいて買い、その日を待っていました。

出かける日はあいにく朝から雨で、デートの時間近くになるとバケツをひっくり返したような大雨になりました。それでも念願のデートです、いそいそと出かけようとすると、おかみさんが、
「あんた、こんな大雨の日に買ったばかりの洋服着て、どこ行くのよ」と後ろから言いました。

それでもどしゃ降りの雨の中、待ち合わせの銀座に着くと、こんな大雨だから来ていない、と思っていた彼女の姿がありました。そしてその友人は単細胞ゆえに「やっぱり俺にトンと来ているな」と自惚(うぬぼ)れました。

お茶を飲み、少し激しさの収まった雨の中を、松屋へ向かって歩き出した交差点で、立派な紳士がじろじろとこちらを見ています。相合傘(あいあいがさ)の道行(みちゆ)きを、こいついい女を連れているので妬(や)いているんだな、と思っていると、その紳士が、つかつかと寄ってきました。なんだいこいつ、ずうずうしいのも程があるねー、エー、オレの彼女を紹介しろとでも言うのかねーと思っていると、ナント耳打ちするじゃないですか。いい女のそばで、なんなんだ一体こいつは。すると、その紳士は

 

「あなた、前のチャックが開いていますよ」だって。

 

銀座のど真ん中で若い女性とデート中ずっと、ズボンのチャックが開けっ放しになっていたんです。

 

 

 

 

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世の中で恋に酔いしれるほど、気分のいい時はありません。生きていると幸せを実感する時です。恋愛についてはいろいろな格言、名言があります。曰く、

愛に国境はない          バイロン
恋は結婚よりも楽し        カーライル
嫉妬は必ず恋とともに生じる。しかし恋とともに消滅しない  ラ・ロシュフコー
恋は遅く来るほど烈しい     オブィデプス
結婚とは、いかなる羅針盤もかって航路を発見したことのない荒海  ハイネ
真実の恋というものは決して都合よくいったことはない シェークスピア

あなたに会えただけで、僕の人生は充分幸せです「君の名は」
神も仏も浮世もいらぬ 君が捨てにし身じゃもの  仮名草子「ぬけぼとけ」
こなた思えば 照る日も曇る 冴えた月夜が闇となる 山家鳥虫歌

如何ですか。確かにどれも名言ですね。

 

 

 

 

 

帰巣本能

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街角には色々な被写体があります。人との出会いもあります。東京で生まれ育ったおじちゃんは、代々東京なので田舎というものを知りません。ですから変だと思うでしょうが、若い時はなんでもなかったのに、自然一杯の中で、のんびりするのが歳をとってからは出来なくなりました。そういうところに3日もいると、もう駄目なんです。却って落ち着かなくなってしまうんです。本当に変ですよね。これは帰巣本能のなせる業なのかもしれません。

自然一杯の中で育ち、都会へ出て来た人が、歳をとってから自然を求めたり、故郷に帰る気持ちが分かるようになりました。おじちゃんもきっと、それと同じなんでしょう。鮭が一生の最後の時に、生まれた川に遡上するのと同じ理由が、人間の脳内だか、DNAの中だかにもあるのでしょう。

そんな理由から、街中や街角に潜んでいるのが、一番落ち着くんです。

人は環境に順応するといいますが、ずっとその場所で暮らしていれば、順応はするのでしょうが、やはり、ある歳になると帰巣本能が強くなる人が多いんでしょう。おじちゃんも、そんな1匹なんでしょう。

鮭と違いおじちゃんは、本質的に群れるのが嫌いな気質(たち)です。以前は沢山の人と交際しましたが、いまは体調のせいで、お付き合いは遠慮しています。でもすごく心地がいいです。淋しがり屋ですから、いつもかみさんと一緒です。近所の人は、さぞ仲のよい夫婦と思っているでしょう。勿論、仲は好いのですが、それだけ体力、気力が弱っている証拠でしょう。

体調が良い時はスーパーマン的に、動きまわれるのですが、自律神経の不調で、急激な温度の変化に対しては、まるきし踏ん張りが利かなくなってしまいました。ですから、このところの夏日や真夏日のような温度変化には身体がついてゆけません。

ですが身体に備わっている帰巣本能のせいか、東京にいるだけで癒されています。都会のオアシスとよく言いますが、今の状況は全くそんな感じです。やはり、おじちゃんにとっては故郷ですから。

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都々逸(どどいつ)

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かなり以前に常磐線周りで東北・北海道を旅したとき、定かではないですが確か石岡駅だったでしょう、下り列車の先頭のホームの一角に常陸が故郷だった寄席芸人で、都々逸を津々浦々に浸透させた功労者「都々逸坊扇歌」(どどいつぼう せんか)の歌碑が建っていたのを覚えています。かなり前ですから、今現在あるかどうか確かめたわけではないですが。その碑には『今日の旅 花か紅葉か知らないけれど 風に吹かれてゆくわいな』と彫られていました。

偶然、列車が止まったところに在ったので、なんかこのー、「前途三千里のおもい胸にふさがりて」と嘆じた芭蕉ではないですが、これから長いみちのくの旅に出かける心の中にひどく響いたのを覚えています。
また円生が落語の枕でこの扇歌のことをよく噺していたので余計に印象に残ったのでしょう。

情歌といわれる都々逸、いいのがありますね、

『ちらりちらりと降る雪さえも 積もり積もりて深くなる』
『浮名立ちゃ それも困るが世間の人に 知らせないのも惜しい仲』
『言葉のはずみで 別れた人に 今夜は逢えそな 朝の蜘蛛』
(蜘蛛が朝巣をかけるとゲンがよいとの諺から)
『山のあけびは何見てひらく 下の松茸見てひらく』
『ついておいでよこの提灯に けして(消して)苦労(暗う)はさせぬから』
『皺のよるまで あの梅の実は 味も変わらず すいのまま』(変わらぬ女心)
『諦めましたよ どう諦めた 諦めきれぬと 諦めた』(扇歌)
『たんと売れても売れない日でも 同じ機嫌の風車』(〃)
『白鷺が 小首かしげて二の足踏んで やつれ姿の水鏡』(〃)

『あとがつくほどつねっておくれ あとでのろけの種にする』 (志ん生がよく演った)
『あとがつくほどつねってみたが 色が黒くてわかりゃせぬ』 (      〃    )
『この酒を 止めちゃ嫌だよ酔わせておくれ まさかしらふじゃ言いにくい』
『火鉢引き寄せ 灰掻きならし 主(ぬし)の名を書き目に泪』(        〃     )

『嫌なお方の親切よりも 好いたお方の無理がいい』
『お前に見しょとて 結うたる髪を 夜中に乱すも またお前』
『惚れさせ上手なあなたのくせに 諦らめさせるの 下手な方』
『君は吉野の千本桜  色香よけれど   きが多い』
『おまはんの 心ひとつでこの剃刀が 喉へ行くやら眉(まゆ)へやら』
『酒に酔うまで男と女 トラになるころ おすとめす』

 

 

 

 

 

 

お血脈(おけちみゃく)

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確定申告も終わり、やっと時間が出来たので、チョツト慌ただしいけれど旅行に出る。

落語で聴いた先年亡くなった桂文治師匠の『お血脈』の舞台、長野の善光寺に行くことになり、朝7時に切符を買いに行き11時過ぎの新幹線に決め、帰宅して少し休むつもりが眠ってしまい危うく遅刻するところだったが、そこは江戸っ子のおじちゃん、用意万端すぐに家を出て事なきを得る。

落語『お血脈』 あらすじ

善光寺には、額に押してもらうと現世での悪行が帳消しになるという「お血脈の印」があり、庶民からのお参りが絶えない。そのため、極楽に行く人ばかりで地獄は閑古鳥状態。そこで。閻魔大王石川五右衛門に「お血脈の印」を盗み出すように命じる

 

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善光寺には文治師匠が落語『お血脈』の枕で噺す「お戒壇」という修行のための暗黒の回り廊下がある。

急な階段を下りると、いきなり自分の手すら見えない真っ暗な空間が不気味に続く。その怖さと言ったらお化け屋敷の比ではない。右の手で冷たい壁を伝わりながら行くこと無限の如し。数分がながーく感じられたころ、ガシャンと手に何かが触った。ドキッとする間も無く、先に進まねばならない。

やっとのこと微かな明かりが、まるで太陽のように眩しく感じられ、やがて上りの階段へ出られる。あとで知ったことだが、これがお血脈の御印が収められた室の錠前らしい。何しろ真っ暗闇の中、どんなものかも分からずに触っただけでは知るよしもない。

これに触れただけで極楽浄土に行けるのだから、500円は安すぎるのか?

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途中下車

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旭川駅

 

寒いところへは寒い季節に行くのも旅の楽しみ方の一つです。冬の北海道は零下20度ぐらいになる 地域も多いですが旭川もそのひとつです。この写真を撮ったときも駅前の電光温度計は-20度と表示されていました。でも心の中はポカポカしているのが不思議でした。20年前に同じ冬の季節訪ねた時も旭川では同じ様に心がポカポカしたのを思い出しました。

別に住んでもいないし知り合いもいないのにおじちゃんは時々そんな思いがする土地に出くわすときがあります。なぜだか理由は分かりませんが居心地のよい場所というものがあるのでしょう。

昔よく読んだハードボイルドという定義を作った小説を書いたダシール・ハメットではないですが、病気療養中だったハメットが西海岸のシアトルから東海岸ボルチモアへ帰る途中、強烈な憧れを感じた街があったそうです。そして彼はそこで途中下車しました。彼の小説の舞台でもあるサンフランシスコに。そして小説家として成功しました。何と彼の途中下車はその後8年間も続きました。

強烈な憧れまで感じなくても、なんとなく居心地のよい場所はあるものです。人それぞれに違うでしょうがハメットではないですが途中下車も思わぬ人生の転機を授けてくれるかもしれません。